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イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィアの18世紀(3)―その2

(続き)
「……宗教的祭典もいまなお世俗的祝祭と同様に見ごたえがあった。ヴェネツィア市民が毎年楽しみにしている祭典が二つあった。疫病からの救済を神に感謝するために建造された二つの教会、レデントーレ教会とサルーテ教会の祭りであった。
ヴェネツィア上ヴェネツィア下七月の第三日曜日のレデントーレ教会の祭日には、運河に教会まで小舟をつないだ浮き橋がかけられた。群衆はフォンダメンテ・デッレ・ザッテレから統領(ドージェ)と総理府(シニョリーア)の役人たちに続いて花で覆われた橋を渡り――この慣習は今日もこのままである――その夜は明け方まで祭りが続き、彩色カンテラの下で歌い、踊り、花火の閃光の下でモーレ・デル・レデントーレと呼ばれる桑の実を食べ、夜明けが近づくと、日の出を見物するためにリード島へ漕ぎ出した。
『レデントーレの夜』サルーテ教会へのお詣りの浮橋。Alvise Zorzi『Venezia ritrovata』から借用[左、ガブリエール・ベッラ画『レデントーレの夜』、右、1939年以前のサルーテ教会のponte votivo] 
過去数世紀にわたってそうであったように、クリスマス、復活祭、聖体祝日、昇天節には宗教上の祭典が催され、サン・マルコ広場では工芸品の大市が開かれた。……」

「キリスト昇天祭(フェスタ・デッラッシェンシヨーネ)には、幾世紀にも及ぶ歴史をもつ海との結婚のために、儀典用御座船(ブチントーロ)に従ってあらゆる種類の船がラグーナを渡った。御座船が小広場に帰着するまで教会の鐘が鳴り、礼砲が打ち上げられた。統領と随員たちは統領宮殿の宴会の間に入り、そこではテーブルが整えられて中央にはムラーノ島のガラス製の飾り杯(アルツァータ)、砂糖と蠟でできた凱旋門や城、そしてドラゴンが配されていた。

ついで一二月二六日の聖ステファヌスの祝日に長い謝肉祭(カルネヴァーレ)が始まった。……」

「昼間は市のいたるところで芸当や見世物があり、闘牛や気球のり、仮装パレード、熊いじめ、拳闘や格闘技の試合、笑劇や人形芝居、宙返り曲芸師の、ゴンドラの漕ぎ手の、そしてカステッラーニ党とニコロッティ党の軽業の妙技が披露された。彼らは《ヘラクレスの力業(フォルツェ・デールコレ)》と呼ばれる驚くほど敏捷な離れ業によって、小広場や大運河でたがいに肩の上にのる演技を見せ、大運河の場合には船のなかに立って肩に厚板をのせて均衡をとりながら、雛壇式にしだいに高くなり、ついには人間のバリケード全体がくずれて、叫び声と笑いのなかを海中へ落ちてしまうのであった。……」
ガブリエール・ベッラ画『ピアッツェッタでのカーニヴァルの最終木曜日の祭』[ガブリエール・ベッラ画『ピアッツェッタでのカーニヴァル最終木曜日の祭』] 「謝肉祭の最終日の真夜中になると、サン・マルコ大聖堂(バシリカ)とサン・フランチェスコ・デッラ・ヴィーニャ教会の鐘が鳴って、今年の楽しいお祭り騒ぎは終わったことを告げ、最後の花火がシューと音をたてて大運河のなかへ落ち、群衆は広場(カンポ)から歩いて家路につき、人々が去ったあとの舗道は、ポンペーオ・モルメンティの言葉によれば《リボン、衣服がちぎれた切れ端、羽毛、紙吹雪、オレンジの皮、カボチャの種》が散乱していた。」
……
「翌朝、夜が明ける一時間前に教会の鐘が鳴り、早朝の祈祷(マットゥーティン)の時を告げる。そして夜警が統領宮殿(パラッツォ・ドゥカーレ)から行進して去って行くと、サン・マルコの鐘のとどろくような音色マランゴーナがふたたび響きわたる。その後まもなく玄関の扉が開いて労働者たちが短い仕事着を着てゆったりしたズボンをはいた姿を現わし、幾人かは仕事場へ向かう途中で足をとめてミサを聞き、あるいは街角の祠堂で急いで祈るのであった。

まもなく街路は鋳造工場、陶器製造所、ガラス製造所へ向かう労働者たちであふれ……。 ……」 (その3に続く)
  1. 2020/02/08(土) 13:03:32|
  2. ヴェネツィアの歴史
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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