FC2ブログ

イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

伊語版Wikipedia“Peste nera/morte nera(黒死病)”―1

以前黒死病防止のためにヴェネツィアでは、 quarantena(船を40日間、沖合停泊させた)が一時的隔離の検疫の意になったことを書きましたが、仏語では quarantaine、英語 quarantine、独語 quarantäne と各国の言葉に取り入れられています。

ヴェネツィア・ニュースを読んでいると、漸く暗いトンネルの先に明かりが見え始めたらしく、感染者と死者の数が減り始め、回復者の数が増え始めたらしい様子を報道しています。一方、日本はこれから本格的な蔓延が始まるのでしょうか。武漢発のコロナウイルスに負けないために“単に”家に籠っているのではなく、アクティヴに蟄居するため、ウィキペディアの伊語版"Peste nera"を訳してみることにしました(自動翻訳がありますが)。

20世紀前半に猛威を振るったスペイン風邪については、日本語でそのデータが読めるそうです。次のサイト《Current Awareness Portal》=https://current.ndl.go.jp/node/40672 で、『流行性感冒「スペイン風邪」大再流行の記録』から平凡社のサイトの中をクリックすれば、4月30日まで無料で読めるようです。
[因に非常に大まかな数字ですが、世界の人口20億として、スペイン風邪にその4分の1が罹患し、1700~5000万人が死んだのではないか? とされているそうで、日本では人口5500万人の内、2380万人が感染し、39万人が死亡したそうです。]


「 ペスト(黒死病――Peste nera)
黒死病医師[黒死病に対する医師は、このような仮面を被って患者に接したそうです(17世紀)。仮面の鼻の先に色々の香辛料を詰め込んだのだとか。ウィキペディアから借用]  黒死病は世界的に拡がった、殆どペストと言っていい流行病であった。14世紀の30年代、中央アジア北部で発生したと見られ、1346年からヨーロッパに拡がった。

モンゴル高原から次第に拡がっていったのだが、最初支那やシリア、更にトルコのアジア側からヨーロッパ側に海峡を渡り、ギリシア、エジプト、バルカン半島へと到達した。1347年にはスィチーリアへ、そこからジェーノヴァへ渡った。1348年にはスイス最大のカントン、グラウビュンデンを除くスイスを汚染し、ミラーノ公国領域のある地方を除いてイタリア全土に拡がった。

スイスからフランス、スペインに拡がり、1349年イギリス、スコットランド、アイルランドに至った。1353年全ヨーロッパを汚染した後、疫病の汚染源が消滅した。

現代の研究によれば、黒死病は少なくともヨーロッパ大陸の3分の1の人口を消滅させたのだが、それは2千万人の犠牲者ということだろう。研究者の殆ど全員が1894年に黒死病菌を分離させることが出来た細菌 Yersinia pestis による感染症であり、鼠の蚤を媒介して人に感染する、と認めている。

適切な処置は講じられず、14世紀にはまだ処置法が判っていなかったので、現れた症状に従って、感染者の2分の1から殆ど全員に及ぶ人が致命的な結果となった。即ち、ペスト腺腫であり、敗血症であり、肺炎症状である。

人口統計学上の壊滅的な結果以上に、黒死病は当時の社会に激しい衝撃を与えた。説明と解決策を求める人々は、時にユダヤ人に感染の責任を押し付けて迫害と殺戮を行い、また多くの人々は疫病蔓延は神の思召しであるとし、その結果種々の宗教活動が発生した。中でも有名なものは鞭打ち苦行派のものである。

文化面でも影響著しいものがあり、ジョヴァンニ・ボッカッチョは『デカメロン』の中で、黒死病に侵された町から逃げ出した若いフィレンツェ人を話者として登場させたし、絵画では“死の舞踏”の主題は、続く世紀の中で芸術的表現として繰り返されるテーマだった。

疫病の大猖獗が終息しても、黒死病はヨーロッパの人々を続く何世紀にも亘って、その強度は減じたにも拘わらず同じような調子で鞭打ち続けた。……」 (2に続く)
  1. 2020/04/14(火) 07:57:37|
  2. 疫病
  3. | コメント:0
<<伊語版Wikipedia“Peste nera(黒死病)”―2 | ホーム | 新型武漢(コロナ)ウイルス>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

カウンタ

カレンダー

06 | 2020/07 | 08
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -

プロフィール

ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

最近の記事+コメント

カテゴリー

ブログ内検索

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

リンク

このブログをリンクに追加する

過去ログ

フリーエリア