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イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

伊語版Wikipedia“Peste nera(黒死病)”――5

(続き)
「 ペストが爆発し、ヨーロッパに蔓延

 ≪鐘は最早鳴らなかったし、泣く人とて無かった。人に出来ることと言えば死を待つという、ただそれだけ。ある人は今や狂然として虚空を凝然視し、またある人はロザリオの玉を一つずつ繰りながら祈りを口にした。そしてまたある人は自堕落に沈湎する。多くの人が口にした、“この世は終わりだ”。≫ (スウェーデン年代記の作者の覚書)

   起源
14世紀、腺ペストはモンゴルとゴビ砂漠の間に棲息する齧歯動物の風土病であった。多分、世界規模にまで拡大することになった、健康上の一つの状態を引き起こしたのはモンゴル人と志那人の戦争であった。パンデミックの震源地はアルタイとトゥヴァ共和国の間、中央アジア北部であったようである。そこは中国に近く、現代の研究では1331~1353年の間、猛威を振るった疫病蔓延で住民の65%近くが死亡したとされた。

1338~1339年、ペストは現在のキルギスタン(Kirghizistan)のイスィク=クリ(Issyk-Kul)湖傍のネストリウス派のコミュニティーに近付いた。伝染病蔓延について最初に書かれた証言は正にこの湖の傍で発見されたが、この湖はシルクロード上の必ず宿泊する地であった。

1345年ヴォルガ南部の河畔のサライ(Saraj)とクルィム(Crimea―クリミア半島)で最初の症例が残された。1346年ペストはアストラハン(Astrachan)で最初の犠牲者を出し、続く年疫病は、当時のヨーロッパとの境まで到達した。ジャーニー・ベク(Ganī- Bek)に率いられたキプチャク・ハーン国軍(L'Orda d'Oro)は、クリミア半島のカッファを攻撃した。そこはジェーノヴァ共和国の豊かな植民地ガザリーア(Gazaria)と呼ばれる地方の主都であり、オリエントへの道の寄港地でもあった。

ペストはキプチャク・ハーン国軍に連れられて町へやってきた。当時の年代記は報告している(フランスの歴史学者ミッシェル・バラールが、筆者不明の年代記に基づいて書いている。それはフランシスコ派の僧ミケーレ・ダ・ピッツァの作と考えられている)。侵略者達はペストで死んだ死体をカタプルタ(catapulta―石や弓を射るための弩砲)で町の城壁の内側にまで打ち込んだという。カッファの市民達は死体を直ぐ様海に捨てただろうが、こんなやり方でペストは町へ侵入した。

しかし別の要因として、ジェーノヴァ人の感染は鼠からであったということは有り得ることである。鼠はモンゴル軍から町の住民の所へ移動したか、最近の考え方としては、gerbillo(荒地鼠)から感染したという。

カッファではかつてペストはジェーノヴァ人の広い商業網から侵入してきて、全地中海に広がったとされた。1347年秋町を出発した船でペストは、最初のヨーロッパの感染都市コンスタンティノープルに至り、更にペーラ(Pera―Beyoğlu―ボスポラス海峡のコンスタンティノープルのヨーロッパ側にあるジェーノヴァ共和国の植民地)に、その後キプロスやエジプトのアレクサンドリアの住民に感染し、1347年9月には疫病はメッスィーナ港に到達した。 」 (6に続く)

[話は丸で変わりますが、ヴェネツィアで語学学校に通っていた時、ジャズピアニスト上原ひろみさんのコンサートがゴルドーニ劇場であり、席が満席で、ここでも凄い人気なのだと合点したことがありました。彼女の米国バークレーの先輩、小曽根真さんのコンサートには時々参加しますが、このコロナ騒ぎで先日のコンサートは取り止めになり、その代わりということなのでしょうか、facebook で暫く前からPC上の live が“Welcome to Our Living Room”として続いていました。

しかし音質がイマイチということだったのでしょうか、昨日4月30日の21.00時からは、YouTubeに発信局が切り替わり、美しい音で live がありました。視聴した人数は7347人という盛況でした。今夜も21.00時から聞かねばなりません。
Youtube で≪“Borderless Music” by Makoto Ozone≫を検索すれば聞けます。]
  1. 2020/05/01(金) 14:37:53|
  2. 疫病
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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