FC2ブログ

イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィアのラッザレット・ヴェッキオ島

前回≪伊語版Wikipedia“Peste nera(黒死病)”――8≫で9に続くとしましたが、“9”は医学の科学的内容のようです。私には手に負えないと思いますので、ここで翻訳は打ち切りとします。代わりにその“8”で触れた、イタリア語の"lazzaretto"(伝染病院)の語源となった島"Lazzaretto Vecchio"(ラッザレット・ヴェッキオ島)についてのWikipediaの記事を訳してみます。
LAZZARETTO-VECCHIO[ラッザレット・ヴェッキオ島、サイトから借用]  「Lazzaretto Vecchio島はヴェネツィア潟の島で、ヴェネツィア・リード島西海岸の直ぐ傍に位置している。病院が設置され、そこでペスト流行時に患者を治療した。その後、他の島同様に、軍隊の駐屯地となった。その敷地は2.53ヘクタール、拡張された建物面積は8,400㎡に及ぶ。

最初、アウグスティヌス修道会隠修士のパードレ達が住んでいた。彼らがナザレの聖女マリア(Santa Maria di Nazareth)に捧げた教会と聖地パレスチナに行き、帰還した巡礼者達の収容施設(1249年)を建てた。1423年スィエーナの聖ベルナルディーノの助言に従い、共和国元老院は疫病感染国から到来する人や物品の収容隔離所として、更に収容された人達の食糧、医薬品、看護を提供するためにこの島を充てることにした。

"lazzaretto"(伝染病院)という言葉は、伝染病に感染した人の守護聖人名、聖ラザロ(San Lazzaro)を、Santa Maria di Nazareth(サンタ・マリーア・ディ・ナザレット)教会名に重ね合わせたことに由来すると思われる。

救護施設の維持費用は最初の60年間は、食塩署の収益の一部で賄われた。それは予防、診察、検査、検疫の措置を講ずる常設の保険庁の監督下に置かれた。1468年から島は、感染症に罹った疑いのある病人の収容を引き受けることになり、ラッザレット・ヌオーヴォ(Lazzaretto Nuovo)島に新しい建物を建て、感染者が移送された。

既にその時島は、運河で二つに分けられて、橋で繋がっていた。狭い方は爆薬置き場と護衛兵の住居(宿舎)が置かれ、長方形の大きい方には、病院が設置され、そこに以前からいた修道僧達の住まいが組み込まれた。初めは木造の小屋等が付け足されていたが、次第に石造に建て替えられていった。

建物は小広場と二つのコルティーレ(中庭)に面して並んでいたが、小広場に面しては修道院長と彼の助祭の家、道具類の倉庫、貯水槽、感染被疑者が40日間過ごさねばならない地下道があった。コルティーレの周りには、最初修道院の中庭があって、国へ帰らねばならないヴェーネトの施政官長や司祭用の住居があった。二番目のコルティーレの周りには、入院患者用の100の小部屋があった。

大きな建物の背後には草叢と幾つかの屋根が見えた――木造の格子門で他の施設から隔てられていたが――そこでは欠席裁判の検疫で商品の排除が行われていた。1564年には周りの潟を埋め立てて病院は拡大された。1586年には島内への入口の運河にコヴァーナ(ヴェ語covana――ヴェネツィアの船の収容施設)が造られた。

1846~1965年、島は他の多くの島同様、最初オーストリア、その後イタリアの軍当局に撤収された。その間、キオーストロ(修道院の中庭付き回廊)、鐘楼のある教会、その面会所、他の建物が壊れてしまった。続いてこの島は野良犬を保護する目的で、愛犬家のグループにヴェネツィア市から払い下げられた。

2004~2008年、島は公共事業局と文化財保護局から“ヴェネツィア市とヴェネツィア潟の博物館”のための準備としての引き取り、という重要な措置が取られた。その機会に発掘調査で1500体以上の罹患者の遺骸が発見され、独自ではあるが世に共通したことであったことが明らかにされた。その分析結果、1500年代のヴェネツィア人の命・生活に関する情報がもたらされた。しかしプロジェクトは資金不足で頓挫し、島は再び放棄と荒廃の危機に陥った。

2013年9月からヴェーネト考古物保護局は、監視のために相互理解のために記録文書を活性化させている。 」

現在の島の様子を撮影した短い動画があります。ラッザレット・ヴェッキオ島をご覧下さい。
  1. 2020/05/18(月) 17:27:11|
  2. ヴェネツィアの島
  3. | コメント:0
<<改正著作権法 | ホーム | 伊語版Wikipedia“Peste nera(黒死病)”――8>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

カウンタ

カレンダー

06 | 2020/07 | 08
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -

プロフィール

ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

最近の記事+コメント

カテゴリー

ブログ内検索

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

リンク

このブログをリンクに追加する

過去ログ

フリーエリア