イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィアのカーニヴァル(1)

2月24日が今年の謝肉祭の最終日(il martedi` grasso)でした。私がカーニヴァルを体験したのは、1996年から数回だけのことです。初めての'96年の時は、1月29日にフェニーチェ劇場が焼失後直ぐにヴェネツィアに到着しましたので、先ず劇場の前に赴きました。劇場前には弔意の花束が文字通り山と捧げられていました。数日後再度赴くと、綱が張られ、焼跡には近付けなくなっていました。
フェニーチェ劇場焼失翌朝1977年のフェニーチェ劇場[焼失前のフェニーチェ劇場の舞台] 劇場裏側(本来は表)の運河の方に回ってみますと、運河は大運河の出口から堰き止められ、水を排除して、下に溜まったヘドロ等の泥濘を小型のブルドーザーで掻き取っていましたから、消防艇も来れなかったのです。そのためでしょうか直ぐに火付けではないかと囁かれ、放火と断定されました。

防火設備の設置のための工事中だったそうで、工事完了後にはウッディ・アレンのジャズ・コンサートで再開場の予定だったそうですが、結局コンサートは別の場所で行われ、彼は入場料から再建費用として寄付したと伝えられています。

放火犯がメキシコに潜伏していることがその後判明したそうです。工事現場の看板に明記された予定よりあまりに遅延する工事のため、故意に業者が遅らせていることも知れ、別の業者に差し替えられて再建されることにもなりました。2003年12月の再開場のニュースはまだ記憶に新しいところです。

大分前に書かれた古いヴェネツィア・ガイド『Venezia e il suo estuario(ヴェネツィアとその入江)』(Giulio Lorenzetti, Edizioni Lint Trieste、1926)を読むと、現在の仮面のカーニヴァル(1979年に現代のコンパニーア・デ・カルザ・イ・アンティーキの人達が町興しのために再興したのだと聞きました)が始まる前の時代の、カーニヴァルの模様が分かります。

「時代とともに、別の楽しみも追加されるようになった。その一つに《volo del Turco, o dell'Anzolo(天使の飛翔)》がある。アクロバットの若者がサン・マルコの鐘楼の上から総督宮殿の開廊まで降りてきて、総督にオマージュとして花束あるいは詩作品を捧げるのである。それは、サン・マルコ湾に浮かべられた平底船から鐘楼まで張られたロープを輪になった装置で、鐘楼上まで登り、降りてくるのであるが、途中総督宮殿のフォースカラ開廊まで下り、出発地点まで戻るというものである。
[始まりはそれまでヴェネツィア人が見たこともない種類のトルコ人のアクロバットの spettacolo(ショー)だったので、この呼び名が残っているようです]
ガブリエール・ベッラ画『ピアッツェッタでのカーニヴァルの最終木曜日の祭』[2001年の『華麗なる18世紀イタリア――ヴェネツィア絵画展』で展示されたガブリエル・ベッラ画『ピアッツェッタにおけるカーニヴァル最後の木曜日の祭』に描かれた、鐘楼と総督宮殿を結ぶ綱の曲芸《人間ロケット》とニコロッティとカステッラーニ対抗の《人間ピラミッド》。]

この謝肉祭行事に新たに加わったものは、《Forze d'Ercole(ヘラクレスの力業――人間ピラミッド)》であった。大運河のあっちとこっちで町を二分する二つの区域のカステッラーニとニコロッティ間で争う、敏捷さと力強さの競技である。

カステッラーニはカステッロ区の者の意で赤いベレー帽とスカーフを身に着けた。ニコロッティはドルソドゥーロ区の者で黒いバッジを付けた。町の一番西の端に位置するサン・ニコロ・デイ・メンディーコリ教会があるためそのように呼称された。選手は最も機敏で強力な人達の中から選ばれ、また競技のための各種の規則も定められ、人間ピラミッドを作り上げる能力が問われた。最も細身で迅速な人が頂上に昇り、cimiero(兜の頂き飾り)となった。」

これが有名な拳骨の橋の闘いが禁じられた後の、ニコロッティとカステッラーニ間の競技となり、カーニヴァル時に行われたようです。
  1. 2009/03/07(土) 00:03:25|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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