イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

文学に表れたヴェネツィア――ジャン=ジャック・ルソー(1)

31歳のジャン=ジャック・ルソー(1712年6月28日ジュネーヴ~1778年7月2日エルムノンヴィル)は、ヴェネツィア駐在フランス大使モンテギュ伯爵の秘書となり、1743年9月4日ヴェネツィアに赴任しました。その事について彼は『告白(録)』の中で語っています。
スリアーン・ベッロット館ルソーの碑[当時カンナレージョ運河前のスリアーン・ベッロット館が仏大使館。碑文: この館でジュネーヴ市民ジャン=ジャック・ルソー(1712~1778)が、1743~44年仏国大使館秘書だった。]  傲慢で無能なモンテギュの下で彼は何とか秘書としての仕事をこなしたようですが、それも1年近くの我慢の末、大使と大喧嘩をし、1744年8月22日にはヴェネツィアを発ち、パリへ帰ってしまいました。

日本では『むすんでひらいて』の作曲家としても知られる彼は、ディドロ、ダランベールの『百科全書』の音楽関係の執筆者として、また1752年パリのオペラ座でリュリのトラジェディ・リリック『アシスとガラテ』の幕間劇にペルゴレージのオペラ・ブッファ『奥様女中』が上演されたことから発生した、フランス・オペラ派とイタリア・オペラ派の対立、その《ブフォン戦争(ブッファ論争)》中、ヴェネツィア滞在中イタリア音楽を楽しんだ体験があったためか、イタリア・オペラ派の中心人物としても活躍したのだそうです。

田園劇『村の占師』(1752年、フォンテンブロー宮初演、パリ・オペラ座初演1753年)を作詞作曲し、これは長い間オペラ座のレパートリーとして何度も上演されたようです。
ジャン・ジャック・ルソー[Wikipedia から借用] 「……私はパリから、フランスの国におけるイタリア音楽への偏見をもってきていた。だが偏見などというものでおし通せない。あのさとりの早い感受性をも自然から与えられていた。だからこの国の音楽を正しく判断するために生まれてきた人々だけに感興をそそるあの情熱を私はただちにもったのであった。ゴンドラの舟歌をききながら、いままでこんなふうにうたわれるのをきいたことがないように思った。

またオペラにもすぐ夢中になって、こちらはただききたいばかりなのに、桟敷でみんながしゃべったり、食ったり、勝負事をしたりするのがわずらわしく、しばしば仲間からはずれて、脇のはなれたところへ行ったりした。そこで、ただ1人、自分だけの桟敷にとじこもって、長い出し物でも、おわりまでゆっくり味わうたのしみにふけるのだ。

ある日、サン・クリソストモ座で、私はねむりこんだ。しかも自分のベッドでねむるよりももっと深くであった。かん高い、はなやかなアリアは、私の目をさまさなかった。しかし、私をよびさましたアリアのしずかな和声と天使の声のような旋律とが私に与えたあのこころよい感覚を、誰が言いあらわしえよう。

耳と目とを同時にひらいたときの、何という目ざめ! なんという恍惚! 何という陶酔! 最初は天国にいるのかと思った。

この恍惚とした曲は、いまでもまだ思い出すし、生涯わすれはしないだろう。こんなふうにはじまるのだ、
私を救ってくれるのはあの美しいひと Conservami la bella
あゝ、こんなに私の心をもえたたせる Che si m'accende il cor. 」 (続く)
  ――『告白録』(井上究一郎訳、河出書房新社、昭和39年1月10日発行、《世界文学全集 2-5 ルソー》)より

彼の音楽に対する情熱は『音楽事典』(1768)というユニークな著作にも結晶しているそうですし、その他『ピグマリオン』(1770年初演)のようなメロドラムを書いたり、死後出版の歌曲集『わが生涯の悲惨の慰め』(1781)等、音楽家としての面目躍如です。
  1. 2009/03/21(土) 00:09:27|
  2. ヴェネツィアに関する言葉・文学
  3. | コメント:2
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コメント

イタリア人とフランス人とのあいだには、1種の確執のようなものがあるんじゃないか、と思うのですが・・・
ボローニャに住んでいる人で最近親しくなった日本人が、もう14年もイタリアに住んでいるのにただの一度も国境を越えてフランスへ行ったことが無い、と聞いてあきれました。なぜ、と聞くとどうもイタリア人の御主人のせいだと分かりました。彼らは休暇になると、北方のオーストリアとかチェコにもう何度も行っているのに。ペッシェクルードさんはヴェネツィアに住んでいて何か感じましたか?
  1. 2009/03/22(日) 01:54:05 |
  2. URL |
  3. September30 #-
  4. [ 編集 ]

september30さん、コメント有難うございます。
総督宮殿前でヴェネツィアの風景画を売っているヴェネツィア人画家に話しかけた
時、日本人を褒めながら、先ず最初に「フランス人は傲慢でけちだ」と貶し、次々
北の国の人の悪口を言っていました。
ヴェネツィアの友人のFさんのアパートを借りていた仏人のベアトリスに紹介され
ましたが、Fさんは彼女と付き合うのを嫌がっていました。それは何か言い合いに
なった時、彼女が相手をとことんやり込めるからでした。
ヨーロッパの中心であると自認する仏人も、偉大なルネサンスを持つ伊人には心の
底で頭が上がらないという思いがあるのでしょうか。
  1. 2009/03/22(日) 06:38:19 |
  2. URL |
  3. ペッシェクルード #/plE8HKU
  4. [ 編集 ]

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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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