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イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィアの街灯の歴史(3)

(続き)
「しかしながらガス料金は、アルコール類に比べて決定的に低価格だったにも拘わらず、その導入には住民側から強い拒否の声が上がった。悪臭があるということが原因だった。特に芸術家達は光源の強烈さやその色合いを嘆いた。その明かりは、ナトリウム、カリウム、リチウム、銅の塩基の中に浸したランプ用の網を使用するので、その対策を講じるため時間とともに模索していた。

炎の点火と消火は手で行われ、ガスの流出口のガス栓の開け閉めは長い棒を使用した。

20世紀の初めから、各々の照明箱の中には、ゼンマイ式の1週間の自動巻き時計が内蔵された。しかしこのやり方は、ガス点火の小口に1日中種火を点火しておく必要があり、決められた時間に網の点火と消火させるレバーを時計に操作させた。

1886年電気による照明プロジェクトが始まり、ジュデッカ島で最初の実験が行われた。翌年市はWalter Edison社に10年間個人への電気の配給を許可した。公道での施設はガス会社が独占権を主張していた。

1889年チェントロの狭い区域に小さな施設を作ったヴェネツィアの電気照明の株式会社が創立された。とはいえ矢張り、主人顔するのはガスで、市とLa Lionese(ラ・リオネーズ)の契約の更新は1909年に行われた。その契約では元のマルテ広場、現サンタ・マルタ広場地域に小さな工場を予定していた。

市はいかなる街灯システムであろうと導入し、適用することは制限されていない、とはしていたが、ガス利用については、最小量であろうと補償はするつもりであった。後に法律でこの但書きは決定的に廃止され、1922年には町全体の街灯のためにはガスから電気に変わることが決定された。
サン・マルコ小広場岸壁ラグーナの街灯[ヴェネツィアでは潟でも、夜間の航路を明示するためブリコーラの上に街灯があります]  当時の、そのフランスの会社(ラ・リオネーズ)がイタリアのものとなって Italgas(イタルガス)がこの会社を所有することになり、マルゲーラ港の新しい産業の基軸から化石燃料を町の末端まで配給する準備を整えた。……」
 ――ネーリ財団銑鉄博物館のサイトから
蛙を持つ少年税関岬2013.03.22日のブログ蛙を持った少年で書きました、この白い少年像は、汚されないように常に警備が必要で、その上市民にも評判悪く、数年後撤去されましたが、その跡に、以前あった街灯(1800年代様式)が蘇りました。漫画家谷口ジロー著『ヴェネツィア』(双葉社、2016年11月23日)には《蛙を持った少年》像が描かれ、短い期間展示された像の“記念作品”となっています。
  1. 2020/12/07(月) 17:00:35|
  2. ヴェネツィアの街
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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