イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

文学に表れたヴェネツィア――ライナー・マリア・リルケ(1)

ヴェネツィアに行くようになり、偶々読み返していた時、気付いたのは、ライナー・マリア・リルケ(1875.12.04プラハ~1926.12.29スイス、ヴァル・モン)が『マルテの手記』の中でヴェネツィアについて書いている一節でした。
ライナー・マリア・リルケ[Wikipedia から借用] 年譜を捲ってみると、彼は32歳の1907年から45歳の20年までの間に計6回ヴェネツィアを訪れています。『マルテの手記』は1904年ローマで書き始められ、09年にはおおよそが書き上げられ、翌年には上梓されたとあります。07年11月19~30日、ヴェネツィアのロマネッリ家の客人となったことがこの書に影響を与えているに違いありません。

この書の最後の方で「最近再び、アベローネよ、……」と語りかけるように、彼はヴェネツィアのイマージュを書いています。

「そんな人々の中に僕は立ち交っていたのだ。僕は旅行者でないことをうれしく感じた。もうすぐ寒くなるだろう。彼らの空想の贅沢な偏見でゆがめられた《軟弱な、阿片のヴェネチア》はくたびれた眠そうな外国の旅行者といっしょに消えてしまうのだ。

そしてある朝、全く別な、現実の、いきいきした、今にもはじけそうな、元気のよい、夢からさめたヴェネチアが、姿を見せるに違いない。

海底に沈んだ森の上に建設したという、《無》から生まれたヴェネチア。意志によって建てられ、強制によって築かれたヴェネチア。あくまで実在に堅く縛りつけられたヴェネチア。

きびしく鍛えられ、不要なものいっさいを切り捨てたヴェネチアの肉体には、夜ふけの眠らぬ兵器廠が潑溂と血液を通わせるのだ。そのような肉体が持つ、精悍な、突進しか知らぬ精神には、地中海沿岸の馥郁たる空気の匂いなどから空想されるものとはおよそ比較を絶した凜冽さがあった。

資源の貧しさにもかかわらず、塩やガラスとの交易で、あらゆる国の財宝をかき寄せた不逞な都市ヴェネチアだ。ただ表面の美しい装飾としか見えぬものの中にさえ、それがかぼそく美しくあればあるほど強いかくされた力を忍ばせているヴェネチア。

ヴェネチアは全世界の重石(おもし)、しかも堅固な美しい重石だった。」
  ――『マルテの手記』――新潮世界文学32巻『リルケ』(大山定一訳、1971年9月20日発行)より

『手記』の中で彼がヴェネツィアの閨秀詩人ガースパラ・スタンパやポルトガルの尼僧のことを書いており、その名を知ったのもこの『手記』でした。

ガースパラ・スタンパについては、『マルテの手記』の訳注に「イタリアの女詩人、コラルティノ・コラルト伯爵にあてた手紙と恋愛詩がある。リルケはそれを自分で訳したいと言っていた」とありますので、次回のその次に、リルケが書いた彼女の事について触れます。
  1. 2009/04/18(土) 00:04:47|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは十数年前。ヴェネツィアには即一目ぼれ。
その結果、伊語勉強のためにヴェネツィアの語学学校に何年間か数ヶ月通いました。
その後もヴェネツィアを訪れるたび、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら書くのが楽しいのです。

*図版はクリックすると拡大されます。

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