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イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

映画『ベニスの愛』

最近になって知ったことがあります。映画好きの私が見損なっており、蔦屋のイタリア映画コーナーでカセット・テープ等でも見かけず、一度紹介したことのある、柳澤一博著『映画100年 STORYまるかじり イタリア篇』(朝日新聞社、1994年11月30日)の中の年表からも洩れていて、私のヴェネツィア映画についてのブログでも触れたことのなかった映画――日本語題名は『ベニスの愛』(1971年8月28日、日本公開)、イタリア語題名“Anonimo veneziano”(1970年制作)という映画です。
[Anonimo veneziano――Youtubeにポルトガル語字幕の映画『ベニスの愛』がありました。]

アレッサンドロ・マルチェッロ作曲のオーボエと弦楽合奏のための協奏曲ニ短調の第2楽章アダージョが、主人公のオーボエ奏者によって演奏されたために、この演奏されたアダージョ楽章が《ベニスの愛》と呼ばれるようになったそうで、私は、“ある映画で使用されたためにこの協奏曲がこの様に呼ばれるようになった”と単純に思い込んでいました。

その上、私は映画音楽として作曲された曲とは知らず、曲名も知らず、普通のムード音楽として聴いていたのですが、エンリーコ・マリーア・サレルノ監督のこの映画では、ステルヴィオ・チプリアーニが映画音楽として主題となるメロディを作曲していました。ヴェネツィアでは能く耳にしたものです。ですから『ベニスの愛』という曲は、このチプリアーニ作曲の映画音楽がそれだったのです。

この映画が公開された当時は、マルチェッロのオーボエ曲は兄のアレッサンドロがアカデミー(Ponteficia Accademia degli Arcadi)の会員で、Eterio Stinfalico(エテーリオ・スティンファーリコ)の名前で発表したこともあって、有名な弟の作曲家ベネデットと混同され、ベネデット・マルチェッロ作の曲とされていました。しかし現在はアレッサンドロ・マルチェッロ作曲と同定されています。映画の題名“Anonimo veneziano”とは、このマルチェッロの曲に綽名がないことから、ヴェネツィアの曲であることを明確にするために付けられたものでしょうか、《ヴェニス無題曲》といった意味合いのようです。
[Youtubeにアレッサンドロのオーボエ協奏曲ニ短調がありました。]

映画は、Youtubeにアップされたヴェネツィアの街を見るような趣で、喧嘩ばかりで別居していた夫婦がヴェネツィアで再会し、1日街を歩きながらお喋りし、言い合いをし、また愛し合っていた昔を思い出したりしながら、1日ヴェネツィアの街の彼方此方を歩きます。ヴェネツィアの路地歩き好きには必見の映画でした。サント・ステーファノ広場ではジェラートが美味しいと評判のカッフェ・パオリーンのテーブルでの語り合い。映画で映し出されるパオリーンと右隣のカッフェ・アンゴロの間の道を入った所に、語学校通学時、アパートを借りていたのでこの近辺は懐かしいのです。私はアンゴロでヴェネツィア名物スプリッツ・コン・ビッテルを知りました。
中央の赤っぽい絵が画伯の物[中央の赤っぽい絵が絹谷画伯のもの]  ロカンダ・モンティーンで食事をするシーンがありました。ロカンダ(locanda)は安宿の意で、かつて泊めて貰えないかと、Faxしたことがありました。折り返しFaxが戻って来て、今は食堂の経営だけなので、ヴェネツィア来訪の折には食事にお出で下さいとありました。その後食べに行くと、店の人が、ここには日本人の画家の絵がありますよと案内されました。部屋の片隅に掲げられていたその絵は、芸大の絹谷幸二教授のものでした。翌年また食事に行くと、絵の展示場所が客の目が直ぐ気付く部屋の中央に変更になっていました。日本人が食事に訪れるようになったのだと、合点しました。

主人公は会話の衝突から、竟、自分は5、6か月後には死ぬだろうと宣告されたことを口走ってしまいます。彼は死ぬ前に愛していた妻に会いたかったのです。そしてこの夫婦にとっては寂しいFineとなりました。
  1. 2021/01/30(土) 22:02:12|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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