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イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィアの書店

私が嘗て学んだヴェネツィアの語学学校の、マッシモ先生からのEメールが、この1月に届いていました。ON-LINEで各国の語学生と繋がって、オンライン授業をやっているのだそうです。学校閉鎖になってはいなかった! マッシモ先生は私が初めて語学校通学時に、先生の部屋を借りたこともあり、心配していました。ワクチン接種も順調らしいし、モーゼが機能してサン・マルコ広場が水浸しになることも減ったようです(高潮の設定が高めだったらしく、完璧に水が出ないという訳にはいかないらしい)。

自宅に籠るには読書が最適と、ジョヴァンニ・モンタナ―ロ著『ヴェネツィアの本屋さん』という本からの引用だそうです。2月に入り、ヴェーネト地方はコロナ禍はイエローゾーンに緩和されたらしいです。
「……ヴェネツィアのサン・ジャーコモ・デッローリオ広場とテントール通りの角に小さな本屋さんがあり、そこは何が起ころうとも未だに存在しているということで人を驚嘆させる書肆の一つである。しかしながら、ゲリラを戦う兵士のように根強く、王女のように優雅な、そうした店というのはどんな町にも存在するものである。そんな書店は皆同様に見えるかも知れないが、ここは入店してしてみると判るが、他店とは同じではないのである。
サンタ・クローチェ区このサン・ジャーコモ・デッローリオの書店は部屋が二つで、ミーノース王がミーノータウロスを幽閉した迷宮(ラビュリントス)内でのように迷ってしまう可能性がある。木製のくすんで頑丈な書架では、何万という言葉の群れが大洋の魚類のように、壁面との間で互いを追い掛け回している。

店主はヴィットーリオと言う。40代を越したとは誰にも気付かれず、ずっと若そうに見える。山の中、今や過疎地となったカドーレの山村に生を享けた。ドロミーティの町には、嵐のような力強さと陽も暮れなんとする時の気後れした優しさがある。ヘーラクレースのように強靭に、隅々にまで書籍の詰まった書架の間を事も無げに移動する。しかし一旦書を手にするや、子をあやすが如き手付きである。

今や時代遅れの、市松模様のフランネルのシャツ(私は笑ってしまった)で、彼はそれしか着ないのである。ボロボロのジーンズのズボンを穿き、頑丈なドタ靴を履いている。腕捲りすると、前腕に刺青、斜視の獅子の皺だらけの脚が覗く。ヴィットーリオは美男子である。が、ある種の男達のように、その事に気付いておらず、その事を知るにはその事を言ってくれる女性を必要とする。

毎日髭剃りした顎、ボクシング選手のような胸、読書の習慣を実行に導く無頓着、食後何かが気掛かりのように毎日着火する煙草の火の煙。

今はそうではないが、かつて彼の店に能く通ったことがある。ヴィトーリオは経済学を学びに19歳の時ヴェネツィアにやって来たが、卒業証書(ラウレア)を手にすることは出来なかった。サン・マルコ広場の美術館に勤務するアイルランドの娘に出会った。彼女が2度彼にキスをした。1度目は二人に恋を芽生えさせ、その後彼女は彼と別れるに当たって、彼にメルヴィルの本を贈った。

彼は書物というものにそれ程馴染んでいなかったが、その夜、彼女を引き留めようとするかのように直ぐに『モビー・ディック(白鯨)』を読み始めた。そして今までこんな風に読書をしたことがなかったことに気付いた。

突如、自分が操船を指揮し、捕鯨用の銛を油で磨き、救命ボートのベンチを洗っているように思われた。彼には日に日を次いで生活が膨張して、魅惑的になり、そして人生がより能く、以前より何がしかが理解されるように思われてきた。

彼は大学を辞め、リード島の店に仕事を見付けたが、それは敢えて家から遠くの場所を選んだ。リーヴァ・デ・ビアージョの停留所からヴァポレットでの通いは、毎日2時間の読書が可能だった。そして譬え望まずとも、またお気に入りでない本を選んだとしても、ヴァポレットの窓からの眺めは同様に素晴らしく、アメリカや鯨の見付かる大洋が想像出来た。

あの大陸が彼を引き付ける。RothやDeLillo、MastersやWhitman、AusterやEllisと話し始めた。そしてある期間、合衆国東北部メイン州に住むことを夢見た。しかし出発はしなかった。ヴァーモントの薪置きの小屋を奇麗に片付けねばならないような身形をし続けているからである。

20代からヴィットーリオは、サン・ジャーコモ広場の本屋さんである。書店は彼の事をモビー・ディックと呼称する。譬えアイルランドの娘の事をもはや考えないとしても、またここには海があり、ナンタケット(Nantucket)の大洋は存在しないとしてもである。

彼は少し離れた所に住んでいる。そこで学生時代からずっと生活してきた。解剖裁判所の屋根裏部屋である。そこからヴェネツィアの赤っぽい屋根、フラーリ教会、フェニーチェ劇場の大きな図体が見渡せる。彼の生活は自ら望んだものである。書店主であるためには、人は裕福になることは無用だが、本屋のために人は生きるのではない。彼に仕合せかい?と問わねばならないとすれば、ヴィットーリオの方はそうだよ(Sì)と応えるかも知れない。

今や彼は慕われている存在でもあるのだ。」

サン・ジャーコモ・デッローリオ広場とテントール通りは地図下部に位置しますが、テントール通りを南へ下ると向かって右側にヴェネツィアで一番美味しいと言われたピザ屋さんがありました。更に下って橋手前を左に行くと、ポンテ・ストルト(曲がった橋)、そして鐘楼が途中で切られて民家に転じた風情が見られます。

2014.11.27日のブログでヴェネツィアのハーマン・メルヴィル(1~2)について触れています。
  1. 2021/02/07(日) 00:30:12|
  2. 書店
  3. | コメント:0
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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