イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

文学に表れたヴェネツィア――ガースパラ・スタンパ(1)

リルケが『マルテの手記』で触れ、『ドゥイノの悲歌』《第一の悲歌》で歌った、ガースパラ・スタンパの詩集『Rime』(Biblioteca Universale Rizzoli, stampare nel mese di febbraio 1994)をヴェネツィアで購いました。その中の年譜の中から彼女の人生を辿ってみます。
ガースパラ・スタンパの肖像「1523年パードヴァで出生。父バルトロメーオはミラーノの没落貴族の出で、貴金属商を営んでいた。母はヴェネツィア人で、姉カッサンドラがあり、数年後弟バルダッサッレが誕生。

父が子供達に受けさせた教育は、ラテン語、ギリシア語、修辞学、文法、音楽、文学を基本に据えた、貴族としてのそれであった。1530年頃父死亡。義兄にパードヴァの財産管理を委ね、母は熟知した故郷のヴェネツィアに戻ることに決めた。

1531年一家はヴェネツィアのサンティ・ジェルヴァージオ・エ・プロタージオ(現、サン・トロヴァーゾ)教区のイエローニモ・モロジーニ氏所有の一軒に引っ越した。

3人の子供達の教育は続けられ、母の願いで、当時大変著名な文学者であった友人の文法教師フォルトゥーニオ・スピーラの手に委ねられ、彼等は簡単な頌歌が書けるまでに教育された。娘達の音楽教育は、音楽家のピエリッソーネ・カンビオに任せられ、リュートの演奏と歌唱の表現力で頭角を現す。

1535~40年(12~17歳): 母チェチーリアの家は文学サロンとなり始め、若い貴族達、詩人、音楽家、文学者が参集した。常連の中にはフィレンツェ出身の大建築家ヤーコポ・サンソヴィーノの息子フランチェスコ、彼は詩人・編集者であり、彼女の弟バルダッサッレの友人となった。またダニエーレ・バルバロ、ブルカルド、文章家でペトラルカ風の詩を書くロドヴィーコ・ドメーニキ、サン・マルコ寺院のオルガン奏者で詩人のジェローラモ・パラボスコらであった。

人文主義者で医者のオルテンシオ・ランド、文学者のスペローネ・スペローニやベネデット・ヴァルキもこの時期、スタンパ家の近付きになっていた。ガースパラの美貌や才能、魅力は、当時ヴェネツィアで花開いた沢山の集まり(ridotto)やお喋りの中で話題となった。

そうした集まり等には裕福で無為に過ごす階層の人々、女たらしの若い貴族、軍人、知的な高級娼婦や女流詩人が通ったものという。アレティーノ、ドーニ、ドルチェといった才気煥発で進取の気性に溢れた文学者で活気を呈し、彼等はカード遊びやペンで世界を笑いのめす悪巫山戯をした。そして誹謗中傷から賛辞まであらゆる手段を利用して、自分を目立たせたりした。

2人の姉妹は歌に秀でており、リュートの伴奏でペトラルカの詩や、これら友人の文学者や詩人の歌を歌った。

1544年弟バルダッサッレが、多分肺結核のために亡くなった。弱冠19歳。虚弱体質で、健康状態が悪化し、母はフィレンツェの気候が彼に良かれと期待して、短期ではあったが彼を送り出した。その帰郷途中、家族と再会する前パードヴァまで帰ってきたところでの落命である。

彼の詩的才能を称賛していた友人のフランチェスコ・サンソヴィーノは、『愛の対話』のガースパラへの献辞の中で、彼の事を愛情深く語っているという。最愛の弟の死が彼女に精神的危機をもたらしていた。世間を捨て、修道院を選ぶのが慰めだとする修道女アンジェーリカ・パーオラ・デ・ネーグリから送られた長い手紙が、その事の証である。数ヶ月間、彼女は俗世や文学サロンから遠ざかっている。

フランチェスコ・サンソヴィーノは『愛の対話』以外にもボッカッチョの『アメート』の再版や『デッラ・カーザ(ヴェネツィア出身)猊下のソネット《嫉妬》についての、ベネデット・ヴァルキの考察』を彼女に捧献。

彼女の友情の輪は広がっていく。ジョルジョ・ベンゾーネ、ティエーポロ、ジェローラモ・モリーン、ベンボ枢機卿の息子のトルクァートが彼女のサロンにやって来る。」  (続く)
  ――『Rime』(Biblioteca Rizzoli)年譜より
  1. 2009/05/02(土) 00:01:38|
  2. ヴェネツィアに関する言葉・文学
  3. | コメント:2
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コメント

こんにちは!

今日漸くにコッラルトの城についてまとめアップしたところです。
城も村も小さく、殆ど砲撃により破壊していてもとの面影も無いほどなのですが、
コッラルト家のちょっと有名な人々に付いても取り上げ、コッラルティーノ・ディ・コッラルトとガスパーラ・スタンパの件でこちらにリンクさせて頂きました。
どうぞよろしくお願いいたします。

知れば知るほど、やはり長い歴史を持つ家柄で、関心ある事柄があれこれ出て、楽しみました。
  1. 2015/08/24(月) 20:02:23 |
  2. URL |
  3. shinkai #-
  4. [ 編集 ]

shinkai さん、コメント有り難うございます。
ガースパラ・スタンパがコッラルト伯に恋した話はリルケの『マルテの手記』で知りましたが、久し振りに自分の書いた『ガースパラ・スタンパ』を読み返してみました。
嘘を書いていないようで安心しました。どこまで誤りを書かないでいられるか、自分では不安でしょうがありません。
  1. 2015/08/25(火) 17:17:43 |
  2. URL |
  3. pescecrudo #j9tLw1Y2
  4. [ 編集 ]

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Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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