イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

文学に表れたヴェネツィア――ガースパラ・スタンパ(3)

(続き)
「1551~52年: 健康を再び取り戻す。よく会う仲間にはティエーポロやジョルジョ・ベンゾーニのような年寄りで気の許せる人や昔からの恩師フォルトゥーニオ・スピーラやピエリッソーネ・カンビオがいた。
『Rime』ゼーンとの細やかで幸せな時間は、彼の愛情が穏やかかつ強固なもので、多分コッラルティーノよりずっと深い愛情の持ち主だったから続いたのだった。それは彼には文化に対する興味と洗練された感受性がその底に窺えるからである。

1553年: 彼女の健康状態が再び悪化する。弟のバルダッサッレと同じように、フィレンツェの穏やかな気候が身体にいいことを期待して、数ヶ月滞在した。

1554年ヴェネツィアに帰郷するや、高熱による発作と激痛に襲われる。そして2週間後、我等が閨秀詩人はサン・トロヴァーゾ教区の自宅で不帰の客となった。全く言われなき事であるが、愛人コッラルティーニに捨てられた(彼にはジューリア・トレッリとの結婚が予定されていた)ために、自殺したとするロマンチックな噂が立てられた。しかし彼の結婚は3年も後1557年になって行われたのである。

ヴェネツィアのサンティ・ジェルヴァージオ・エ・プロタージオ教区[現在、ヴェネツィアに残るゴンドラ造船所(Scuero)のあるサン・トロヴァーゾ教区]の古文書館の死亡記録は述べている。《1554年4月23日付。ガスパリーナ・スタンパ嬢はイエローニモ・モロジーニ氏所有の家において、熱病に冒され、大腸を患い、15日(15 zorni)間苦しみ、この日(questo zorno)死亡。》

ポール・ラリヴァイユ著『ルネサンスの高級娼婦』(森田義之、白崎容子、豊田雅子訳、平凡社、1993年8月25日)によれば、《美しきガスパラ・スタンパは、一説では、良家の子女が不実な愛人にだまされて生んだ堅気の娘であり、また別の説では紛れもない“高尚(オネスタ)な”娼婦であった。両者の見解を折衷しようとする者によれば、彼女は身持ちの悪い良家の娘であった。》と。

彼女の詩集から詩を2篇、訳してみます(意味だけでも理解して頂ける訳であれば嬉しいのですが)。
「  愛の歌 I
  あなたはこの悲しい詩句の中に聞くのです、
この哀しい、暗澹たる節々の中に
私の恋に燃える嘆きの響きを
私の苦悩の始まりを。
  私の嘆きの価値、評価、栄光、
許しはもとより、認めてくれる人はどこに、
生まれ良き人々の中に見出したいのです
そのわけがいかに崇高なものであるかを。
  そして誰かに言わねばと更に願います。
――至福の人よ、いつからお考えなのですか
志高い理由があれば、苦しみもまたかく気高いと!
  何たることでしょう、何故高貴なお方へのこれ程までの
愛、幸運が、私に訪れなかったのでしょう、
私も貴婦人と等し並みでありたかったのに。

   愛の歌 CIV
   おゝ夜よ、あなたは私には更に晴朗で幸せなもの
最高に幸せで、清朗だったあの日々よりも
夜は初めの日から価値あるもの、類稀なるその才は、
私にだけではなく、称えられるべきもの。
  あなたは、王が授けてくれた、偏に私の喜びへの
自由の通行手形だった。人生の
全ての苦悩を甘美なるものに変えた、
私と結ばれた彼を腕の中に抱かせて。
  私は太陽を懐かしむ、その時幸運なアルクメーナに
なっていなかったのだから、暁を取り戻すためには
ありふれた事では足りなかったのだから。
  そんな風に事がうまく運んだとしても、私には
あなたの事はさほど語れない、清らかな夜よ、
この歌は未だその中身以上のものにはなっていない、のだと。 」
 ――ガースパラ・スタンパ『Rime』(Biblioteca Universale Rizzoli)より

[アルクメーナ(希語、アルクメーネー)はアンフィトリオーネ(希語、アムピトリュオーン)の妻で、夫が戦争に出かけた留守に彼女に恋をしたジョーヴェ(希語、ゼウス)が、恋人の夫の姿に化けて忍んで来ます。ゼウスは愛の喜びを一層高めようと、太陽神エーリオ(希語、ヘーリオス)に、3日3晩太陽が姿を見せぬ夜とするよう命じて、彼女とその間同衾します。その結果産まれたのが、ギリシア神話中最大の英雄エルコレ(希語、ヘラクレース)でした。] 
  1. 2009/05/16(土) 00:04:59|
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  3. | コメント:2
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コメント

こんにちは! ガスパーラ・スタンパの名も知りませんでしたが、コッラルトの
名前にひかれて、もっと知りたくなりました。
ですが、サイトに出る彼の名前は、ガスパーラに関連してのみで、
まさに、書かれているとおり、平凡な詩人だったようですね。
詩は苦手ながら、人間関係は、知りたいことだらけです!
  1. 2009/05/20(水) 23:44:47 |
  2. URL |
  3. shinkai #-
  4. [ 編集 ]

コメント、有難うございました。
コッラルティーノの領地は新開さんの家の近くではないかと思います。
彼女の詩集の第二版が出たのは、彼の子孫が、先祖を称える意味で再版した
と聞きました。
リルケに教わった彼女の事は、日本ではあまり知られてはいないと思われますが、
彼女の事に付き合ってきてみると、今彼女に対して非常に関心が高まってきています。
  1. 2009/05/21(木) 11:27:37 |
  2. URL |
  3. ペッシェクルード #j9tLw1Y2
  4. [ 編集 ]

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Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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