イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

文学に表れたヴェネツィア――ウィリアム・ロルフ

フレデリック・ウィリアム・ロルフ(1860.7.22ロンドン~1913.10.25ヴェネツィア)、通称コルヴォー男爵という不思議な作家が、『ヴェネツィアからの誘惑――コルヴォー男爵少年愛書簡』という書簡集を残しています。私は彼の作品は、この手紙以外は知りません。彼について知りたい方は次のサイトをご覧になって下さい。最下段の《松岡正剛の千夜千冊「コルヴォー男爵」》を読んでみて下さい。
『ヴェネツィアからの誘惑』彼は1908年8月どういう目的があってか、ドーキンズという教授とヴェネツィアに到着します。ヴェネツィアに在って、『全一への希求と追慕』(副題『現代ヴェネツィア物語』)という作品を書き進めながら、その内、生活にも困り、本国のマッソン・フォックス等へ手紙を送り、身辺報告と共に支援を求めています。

この書簡集冒頭の、一書状の文頭に発信地が記されて、《パラッツォ・モチェニーゴ・コーナー》と訳されています。私がヴェネツィアで初めて借りたアパートは、サン・トマ停留所の対岸正面のモチェニーゴ・ヴェッキア館だったので、モチェニーゴの名前に敏感に反応する癖が生じてしまいました。

彼が住んだ《パラッツォ・モチェニーゴ・コーナー》とは、訳注にサン・ポーロ区2128番地とあるので、『Calli, Campielli e Canali』(地図帳)にコルネール・モチェニーゴ(Corner Mocenigo)と記してある館です。
「ミケーレ・サンミケーリによる擬古典様式の堂々たる建物。正面はサン・ポーロ運河(Rio di S.Polo)に向いており、対岸のアマルテーア小広場(Corte Amaltea――この広場は探すのが少し難しいのですが)からよく見える。完成は1564年。」
と記載され、サン・ポーロ広場にも一部顔を覗かせています。現在は財務警察の建物だそうです。

「……ある朝仕事にあぶれたアマデオが、大気の感触が大好きなものですから、いつものようにシャツをはだけてジャルディネット通りをたまたまぶらついていたときに、声を掛けてきたのです。素敵な子だといいながら、伯爵はアマデオの胸を撫でました。神がお造りになったままで裸でいることのほうが好きだ、というと、伯爵はその日、アマデオをオスマリンへ連れていきました。

それからというもの、アマデオは、広場にいるときも、いつも胸をはだけていました。するとたちどころに、シニョーレたちが彼の跡について来るようになったのです。アマデオは人目のない街角へ来てから頷くのです。こうしてパトロンを見つけました。ですが、クラブがパドヴァへ移ってからは、夜の客を見つけることが、アマデオのような真正直な少年には――当時十六歳でした――難しくなりました。

昼間はザッテーレ[現地音、ザッテレ]やマリッティーマ[現地音、マリッティマ]港で沖仲士をして3.5フラン稼ぎ、そのうち3フランを、同じく沖仲士で稼ぎ高も同じ父親にあげていました。……」 ――第六書簡

「……この夏はただの一度も泳げませんでした。潟へ出る手段がなかったばっかりに。自分の部屋に釘づけになっています。広場とラルガ通りを結ぶ細い路地に面した一階の裏部屋です。外路にあまりに接していて、一晩じゅう叫んでいる売春婦や酔っぱらいの帽子に触れるかと思うほどです。陽がまったく射さず、真暗なので、この頃の快晴続きでも明かりを点けないとものを書くことが出来ません。……」――第二三書簡
 ――『ヴェネツィアからの誘惑――コルヴォー男爵少年愛書簡』(河村錠一郎訳、白水社、1994年12月25日発行)

後の第二〇書簡文頭では、発信地が《ラルガ・サン・マルコ通り(Calle Larga S.Marco)286番地》となっていることから、彼が部屋を与えられた所は、サン・マルコ広場の一隅レオーニ小広場(Piazzetta dei Leoni)の北側のラルガ・サン・マルコ通りと小広場を結ぶペッレグリーン通り(Cl.del Pellegrin)とサン・バッソ(S.Basso)通りの間にあったようです。

松岡正剛の千夜千冊「コルヴォー男爵」
2014.07.10追記: 彼の墓は、墓の島サン・ミケーレにあります。
  1. 2009/06/06(土) 00:02:10|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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