イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

Dogana da mar(海の税関)

フランスのシャルル8世時のヴェネツィア共和国大使(1494~95)だったフィリップ・ド・コミーヌ(Philippe de Commynes、1447?~1511)は、「大運河は(……)世界で最も美しい通りであり、両岸の家並みはこの上なく麗しい。そしてそれは町を縦断している」と書いたそうですが、例えばパリのシャンゼリゼ大通りなど存在しなかった昔、それは正に彼の実感だったと想像します。
海の税関と塩の倉庫税関岬ヴィゼンティーニ板刻「海の税関、塩の倉庫、サルーテ教会[右、ヴィゼンティーニの蝕刻画『大運河の岬と町への入口』]
その大運河の左岸に最初に位置するのは、海の税関です。そこには1414年の昔から、アドリア海方面からヴェネツィアに入港してくる貿易船の積荷を陸揚げし、それに課税するための税関がありました。ここは大運河とジュデッカ運河が合流し、サン・マルコ広場の直前でもあり、ヴェネツィアでも最重要な場所だったのです。

そのため、ここにはかつて狭間を備えた櫓風の高い塔が聳え、サン・マルコやサンタ・マリーア・ゾベニーゴ、サン・ジョルジョ運河等の町の中心を海賊の襲撃から守る守護施設として機能していたそうです。

元々税関は、サン・マルコの傍にあったようです。1414年まで全ての商品はそちらに陸揚げされ、カステッロ区のサン・ビアージョ教会近くの施設で計量されたそうです。しかし商品の流れが格段に夥しくなり、余りにも手狭になったため、税関が二つ作られました。

一つは本土側から到着する物資のためにリアルトに Dogana da Terra[サン・ジョヴァンニ・エレモズィナーリオ教区のこの税関は、正面がワイン河岸(Riva del Vin)に面して建てられましたが、1511年12月19日前夜の大火で焼失し、31年に再建されました。ファサードがカナレットの景観画にも描かれているようですが、建物は現在は存在しません]が設けられました。

もう一つは海から来る商品のために、ここ Dogana da mar に移転されました[この地もまた葦の生えた湿地だった所を埋め立てて造成されたのだそうです]。

海の税関の建物は、アルベルト・ドゥレーロ作と思われるヴェネツィア岬(Pianta di Venezia――現Punta della Dogana)に際立った塔を見せていましたが、1525年に修復されたそうです。隣接して建てられた塩倉庫のために《塩の岬》とも呼ばれ、至聖トリニタ教会と修道院が傍近くあったので、《トリニタ岬》とも呼ばれたそうです。しかしサンタ・マリーア・デッラ・サルーテ教会の最初の礎石が1631年に置かれた時、その二つのトリニタの建物は取り壊されました。

既にある塩倉庫は活かし、海の税関の再建が決まり(1675)、コンペが行われました。ロンゲ-ナ、コミネッリ、サルディ、ベノーニの間で争われ、建築家でもあり、水力工学の技師でもあったジュゼッペ・ベノーニ(Giuseppe Benoni)の案が採用され、1677年に建設されました。

彼の仕事は素早く、堅固な塔の最終的な部分にイストラ(Istria)半島産の石を使用したのも彼の案でした。その塔は柱で支えられたポルティコから立ち上がって、ブロンズ製の黄金の球(Palla della Fortuna)を2人のアトラス(Atlante)が支えており、球の上にはベルナルド・ファルコーネ(Bernardo Falcone)作の《運命(幸運)の女神》が屹立します。

大運河沿いの塩の倉庫は、一部ジョヴァンニ・ピガッツィ(Giovanni Pigazzi)が1835~38年頃に小屋風の屋根が連続して現れるのを高い平らな壁面で隠し、石の記念碑的な空間を構えて、建て替えられました。

長い間、船の置き場や催物会場(例えば、カーニヴァル時のダンスの出来るパーティー会場等)などとして利用されてきたそうですが、建築家安藤忠雄氏の手で現代美術館に改装され、この6月4日、オープンしたそうです。詳しくはヴェネツィア在住の fumiemve さんの2009年6月4日のブログが大変参考になります。次のサイトをご覧下さい。ヴェネツィア、ときどきイタリア

2012.03月追記: 上記フィリップ・ド・コミーヌの『Me'moires』(1524~28)中の大運河についての言及の原文は、当時の古い仏語で次のように書かれているそうです。
《…et me menerent au long de la grant rue, qu'ilz appellent le Canal Grant, et est bien large. Les gallees y passent a` travers, et y ay veu navire de quatre cens tonneaux on plus pres des maisons: et est la plus belle rue que je croy qui soit en tout le monde, et la mieulx maisonnee, et va le long de la ville.》
  1. 2009/06/13(土) 00:00:44|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手知ったヴェネツィアを先ずは訪れて、各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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