イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィアの海との結婚式

先日の日曜日(5月8日)行われた、ヴェネツィアの海との結婚式についてLa Nuova紙は次のように伝えています。今年は復活祭が3月27日と早かったので、やはり移動祝祭日のキリスト昇天祭(Ascensione、ヴェ語Sensa)も早く到来しました(センサ直後の日曜日挙行)。
海との結婚式「 ヴェネツィアは《海との結婚式》を祝う
――セレニッスィマのビッソーナ舟に従い、櫂漕船の水上行列。市長は祝福を受けた輪を水中に投げた――

大パレードとなる櫂漕船の水上行列は、セレニッスィマのビッソーナ舟に従い、サン・マルコ湾を出発し、今日のヴェネツィアの《海との結婚式》を挙行した。千年に渡る儀礼は、センサの日の祭礼となる。この町の伝統的な行事は、キリスト昇天祭に祝われるが、恒例の行事はヴェネツィアと海との関係を思い出させる。

行列には市や宗教関係のVIPの参列があるが、フィレンツェ市長ダーリオ・ナルデッラの姿もあり、昨日総督宮殿で《アドリア海海洋姉妹都市》としての承認を受けたのだった。 ……」

2013.04.27日~の海との結婚式(1~4)で歴史や謂れについて触れています。
  1. 2016/05/10(火) 21:07:30|
  2. ヴェネツィアの行事
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ミモザの日

イタリアでは3月8日はフェスタ・デッラ・ドンナ(女性の日)とかジョルノ・デッラ・ミモーサ(ミモザの日)とか言われ、男性が女性にこの季節の花ミモザを捧げます。もともと1904年3月8日にアメリカで婦人参政権を要求したデモが行われた日に端を発したこの日。イタリアでも世界婦人デーの一環として祝われているようです。

現在では、国連が1975年この日を国際婦人デーに制定し、世界的にフェミニズムの日として祝われている訳ですが、イタリアでは第二次世界大戦中の1945年3月8日、自由イタリアの地域で、最初のフェミニズムの象徴としての女性の日としてイタリア女性連合がイニシアティヴをとって祝ったのだそうです。
ミモザの花[ミモザの花――サイトから借用] 大戦終了後、全イタリアで1946年3月8日が祝われ、反ファシストのパルティザン(partigiana)だったテレーザ・ノーチェ、リータ・モンタニャーナ、テレーザ・マッテーイらが、高価であるとか珍奇とかではない花として選び、フェミニズムの象徴の女性の日のシンボルとして、正にその季節の花ミモザがイタリアに受け入れられたのだそうです。以来イタリアでは女性にミモザの花を贈る、女性の日として祝われているのです。[私はミモザと聞くと、少年時代に見た仏映画『ミモザ館』を思い出します。]
パルチザン日記この本は反ファシストのパルティザンとして戦った女性の記録です。

ヴェネツィアでは、4月25日の聖マルコの祝日に、赤い薔薇の花を女性に贈ります。2014.04.26日の聖マルコの祝日もご参考までにどうぞ。

[追記(03.09): 慌てて日本ウィキペディアの記述を引用して書いてみると、年号など始まりが間違いのようです、以前に支倉常長をウィキペディアで読むとイタリアへの海路の筈が陸路と嘘が書いてありました。どこまで信じればいいのか? 英語のサイトから訳してみました。
――1857年3月8日、ニューヨークの衣料に携わる労働者達が10日間、労働条件の改善と女性としての権利を求め、ピケを張り、行進しました。しかし警察権力で圧殺されました。51年後の1908年3月8日、ニューヨークの彼女達の姉妹であるお針っ娘は、1857年3月を誇りとして、選挙権を求め、そして低賃金長時間労働と子供労働の停止を求め再び行進しましたが、警察は厳しく潰してきました。
1910年の第2インターナショナル(社会党国際会議)の時、ドイツの社会主義者クラーラ・ツェトキンが、この米国のデモンストレーションと働く婦人達の名誉を記憶に留めるべく、3月8日を国際婦人デーとする事を提案しました……(中身も訳も間違いでない事を祈ります)。]
  1. 2016/03/08(火) 17:04:26|
  2. ヴェネツィアの行事
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2016年 カーニバル

今日のLa Nuova紙は次のような事を報じています。つまりヴェネツィアでは既にカーニヴァルが始まっており、2月9日のmartedi` grasso まで賑やかだという事です。新聞を訳してみます。
カーニヴァル「 カーニヴァル初日には7万人の人出、日曜には万全に装備して《天使の飛翔》
――アルセナーレでは、各種スペクタクル、水上での妙技、夕べのお楽しみ等――

広場へは5艘の船のみで入ることが出来る。厳しい警戒が予想される。町は警察のヘリコプターで目覚めることになる。 」
更に
「 《天使の飛翔》を見んものとカーニヴァル初日から7万人の仮面達
――日曜日にサン・マルコ広場へ行くには、入場制限で5艘の船のみで可能――

市警察によれば、悪天候でも、カーニヴァル最初の土曜日は7万人の群衆だという。日曜日は10万人が予想され、日曜正午には、イレーネ・リッツィ嬢の天使が鐘楼から舞い降りる予定。

土曜日は、ゴンドリエーレ達の肩に背負われた2012年のマリーア達の行列、最初の本当の仮面を撮った写真家達のデモンストレーション、サン・マルコで実現したヴィッラッジョ・デッレ・メラヴィーリエの職人達の妙技の数々の展示等があった。 ……」

ヴェネツィアの六つのセスティエーレから各2名ずつマリーアが選出され、カーニヴァルの本選で最後の一人が選ばれるコンテストの始まりについては、2009.01.24日のマリーア祭(1~3)で書きました。《天使の飛翔》については、2009.03.07日のカーニヴァルで触れました。

追記(02.02): 今年の《天使の飛翔》の模様は、次のLa Nuova 2紙の中の写真をクリックして下さい。映像がご覧になれます。
追記2(02.08): La nuova 3紙に、更なる《天使の飛翔》の記事があります。カーニヴァルは明02.09日まで続きます。
  1. 2016/01/31(日) 23:39:22|
  2. ヴェネツィアの行事
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ヴェニス・マラソン

昨日の新聞La Nuova紙は、本日、日曜日に行われる《ヴェニス・マラソン》について、触れています。
ピザーニ館前2015年ヴェニス・マラソンは破壊されたリヴィエーラ通りを8000人のアスリートが疾走する
――イタリアでも最もスペクタクルに溢れたコースは、竜巻の餌食となった地域を通過する。横断幕はなく、≪破壊だけが目立つ≫――

30と109。この数字はストゥラのピザーニ館前から、日曜日朝9時40分に出発する今回のヴェニス・マラソンを特徴付ける。30は、ある人々が世界で最も美しいと考えるマラソン、今回が第30回目であり、109は、去る7月8日の竜巻でリヴィエーラ通り地区が破壊された恐怖の日から109日目ということである。

競技に参加する8000の選手達は、ヴェネツィアに至る道程で竜巻の被害に遭った地域を通過する。 ……」
税関岬の橋リヴェルタ橋を渡るとヴェネツィア市内では、ピアッツァーレ・ローマ広場からザッテレ海岸通りを走り、税関岬からサンマルコのモーロ海岸に架かった仮設の橋(写真参照)を渡り、スキアヴォーニ海岸通りを駆け抜け、ジャルディーニ(公園)前のゴールに至ります。ヴェネツィア市内の階段橋には板が渡され、全て板の坂道(rampe)となる筈です。ヴェネツィアの年中行事でこのマラソンについて触れています。
アフリカ勢追記: 日曜日の競技の結果は、1、2、3位とアフリカ勢が独占したそうです。
  1. 2015/10/25(日) 22:00:40|
  2. ヴェネツィアの行事
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ヴェネツィア行

ヴェネツィアに行ってきました。出発直前インテルプレティ・ヴェネツィアーニがこの10月来日すると知って、深慮なかったと悔やんだのですが、サント・ステーファノ広場のサン・ヴィダール教会に行くと、チェロ奏者のダーヴィデが私の姿を見付けて挨拶を呉れました。父君のジャンニも分かったようです。ジャンニとは横浜での公演時、一度話しただけですが、覚えられていたとは! 
Interpreti Venezianiプログラムサラサーテの”カルメン・ファンタジー”という曲には大変感動しました。ヴェネツィア残留組には、アマディーオ一家全員があり、ヴィオラの姉のソーニアさん、コントラバスの父君のジャンニ、チェロのダーヴィデ・アマディーオとアマディーオ一家を中心にヴィヴァルディのヴィオラとチェロの協奏曲RV.531がありました。胸が震えました。
東洋館パンフ美しのガラス、パンフ(2)展示物ヴェネツィアに行ったのは、他にもヴェネツィア・レース・ガラスでも書きましたが、潮工房さんの作品がカ・ペーザロの東洋館に並べられると知ってのこともありました。友人のファビアーナやマリーザ、宿主のマウリーツィオにも話したら、見に行ったよと喜んで呉れました。
Yoshino前にも書いた事がありますが、このカ・ペーザロという美術館はヨーロッパ近代美術と、ヨーロッパ随一と称する東洋美術、特に日本の工芸・美術が収集された美術館で、その売店にも日本関連の書籍、古事記から村上春樹までの伊訳が揃えられています。今回は谷崎潤一郎の作品を購入しました。
Tobia MorraTobia Morra裏ヴェネツィアは何かと日本との関連が深い町ですが、かつてヴェネツィアと日本との関わり(1)の《(1)(2)》で書きましたように、日本と深く関わりを持った町です。カ・ペーザロ以外にも、街には日本の古物品だけを扱う骨董屋があり、展示されていた写真をベアート・フェリーチェの物かと店主に問うと、これは日本の作家の物と言われました。また我が家で使っている茶器の一つにヴェネツィア作の楽茶碗がありますが、この店は現在も日本の物品を並べています。
  1. 2015/10/13(火) 16:19:54|
  2. ヴェネツィアの行事
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プロフィール

ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは十数年前。ヴェネツィアには即一目ぼれ。
その結果、伊語勉強のためにヴェネツィアの語学学校に何年間か数ヶ月通いました。
その後もヴェネツィアを訪れるたび、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら書くのが楽しいのです。

*図版はクリックすると拡大されます。

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